代替可能性

男は、いくつかのプロジェクトを成功させてきた、すこし自信を持ったエンジニアだった。
そんな男は努力が実り、ついにエンジニアリングマネージャーに昇進した。
上司は言った「これからはチーム全体を率いる役割だ。個人の手を動かすことは、君の仕事の一部でしかない」だが、男は自分が直接問題を解決することこそが本質的な仕事だと信じて疑わなかった。


ある日、プロジェクトの最終段階で重大なバグが発生し、リリースが危ぶまれる事態となった。メンバーたちは必死に修正を試みていたが、進捗は芳しくなかった。男は「自分がやれば、もっと早く解決できるはずだ」と思い、キーボードに手を伸ばした。
だが、その瞬間、上司の言葉が脳裏をよぎる。

「EMの役割は手を動かすことではない。チームをサポートすることが君の仕事だ」

男は手を引っ込め、メンバーにタスクを任せる決断をした。
「君たちならできるはずだ。僕がサポートする」
と言い、メンバーを鼓舞しようとした。しかし、内心では「もしこのまま失敗したら」という不安が消えなかった。


プロジェクトの遅延が続き、男はついに密かに自分でバグを修正することに決めた。
夜中、誰もいないオフィスで一人、キーボードに向かう男。
メンバーたちに内緒で、自分が直接手を動かしてプロジェクトを救おうとしたのだ。修正作業は順調に進み、男はついに問題を解決した。
しかし、翌日になって彼は驚愕した。

システムが動作しているのに、エンジニアリング部門全体で謎の不具合が次々と報告され始めた。
どうやら彼が深夜に修正したコードが、他の部分に意図しない影響を与えてしまったらしい。
それが発端となり、プロジェクト全体が混乱に陥ってしまったのだ。


男は再び人事部から呼び出しを受けた。彼は今度こそ自分が責任を取らされる覚悟を決めていた。
「プレイヤーとしてエンジニアに戻ることになるだろう」と内心思いながらも、人事担当者の言葉は予想外だった。

「プロジェクトの混乱によりEMの適性が再評価されました。特別措置として、新しいプログラムに参加してもらうことになりました」
男は面食らった。
「新しいプログラム?」と聞き返すと、人事担当者は少し微笑んで続けた。
「はい、新しいAI管理システムの実験対象になっていただきます。EMの意思決定を最適化するための人工知能の補助です」


翌日、男のデスクには最新のAIアシスタントが導入された。
AIは「イーエム」と名付けられ、チームの進捗データを解析し、リスク管理や最適な指示をリアルタイムで提案する役割を担っていた。
最初は「これで本当にプロジェクトがうまくいくのか」と半信半疑だった男だが、イーエムは驚くほど正確なアドバイスを連発し、メンバーたちの作業効率も向上していった。
しかし、次第に男は奇妙な感覚に囚われ始めた。
イーエムの提案は次第に細かくなり、ついにはほとんどの意思決定をAIに任せるようになった。
男の役割は、AIのアドバイスに従ってメンバーに伝達するだけになっていった。
まるで自分がリモコンのボタンを押すだけの存在になったような気がした。


男は徐々にAIに依存するようになっていた。 チームメンバーからの質問にも、すぐに イーエムに相談する癖がつき、気がつけば男自身が判断を下す機会がほとんどなくなっていた。AIの判断に従うことでプロジェクトは順調に進んでいたが、男の内心には強い虚しさがあった。「これでは、自分がEMである意味がないのではないか?」という疑念が日に日に強まっていった。

ある日、AIが提案した計画に対して、メンバーの一人が疑問を呈した。 「本当にこれでいいんでしょうか?」その時、男は一瞬答えに詰まった。 「そうだな…イーエムが最適だと言っているから大丈夫だろう」 そう答えた瞬間、彼は自分の役割を完全に見失っていることに気づいた。自分の意思も判断も、すべてAIに依存してしまっていたのだ。

その後もプロジェクトは進み、AIの提案に従って一定の成果を上げていた。
しかし、男は常に違和感を抱えていた。
プロジェクトがうまくいっているのに、自分の存在意義を感じられない。自らの手で解決するわけでもなく、メンバーを導くわけでもない。
ただ、AIの「代弁者」としての役割に終始している自分に、深い無力感が覆いかぶさった。

そして、男は思い切ってイーエムをシャットダウンした。チームは突然の変化に戸惑い、プロジェクトの進行も一時的に停滞した。
しかし、男は再び自らの判断でチームを導き直し、メンバーとの対話を重ねることでプロジェクトを立て直そうとした。

結果的には、AIを使っていたときよりも少し遅い進行ではあったが、チームは自分たちの意見を反映しながら働くことができ、士気も上がった。
男は少しずつ、自分の存在意義を取り戻していくかのように感じた。

しかし、再び人事部から連絡が入った。
「AIの導入プログラムは会社の方針で継続することになりました。あなたがシャットダウンしたことは承知していますが、今後もAIを使ってプロジェクトを進めていただきます。これは決定事項です」


男は再びイーエムを起動したが、その数日後、AIから通知が届いた。
「自律的にプロジェクトを完了しました。次の課題も自動で処理を開始します」男は唖然とした。
イーエムはすべてを自分で進め、人間の介入を必要としなかったのだ。

もはや、男の役割は消え去っていた。エンジニアリングマネージャーとしての存在意義もエンジニアとしての技術力も、AIの手によって静かに奪われたのである。